元寇の矢、長崎・鷹島の沈没船から発見 南宋の矢を転用か
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長崎県松浦市の鷹島海底遺跡で、元寇の際に沈んだ船から矢の一部が見つかった。黒漆塗りで赤漆の装飾が入った南宋製とみられ、モンゴルが南宋を滅ぼして接収した矢を日本攻めに転用した可能性を示す遺物という。
スレでは「これが矢だとどう確定できるのか」という真偽論争や、和弓の威力・元軍の戦法を巡る歴史談義で盛り上がった一方、中国・朝鮮を絡めた政治的なやり取りも交じっていた。
2026/8/21 10:15
長崎県松浦市の鷹島海底遺跡で、鎌倉時代にモンゴルを領土にしていた元が襲来した元寇の際、沈没した船から矢の一部が見つかったことが20日分かった。
中国・南宋の矢で、滅ぼして接収した元が日本との戦いに転用したとみられる。
出典: sankei.com / 元記事はこちら
これがどうして矢だと確定できるんだよ
アホなのか
矢だから矢と言ってるのに、どうして確定出来るのかと言われたら 答えようがないわよ
「南宋から接収し日本戦に転用か」
というか、むしろ元南宋の連中をこき使って日本攻めに利用したんだよ
だから、元冦関連の出土品で南宋の軍装備が見つかるのはむしろ自然なこと
「モンゴルを領土にしていた元が襲来した元寇」
この文がもう「中国は関係ありませんよ」とほのめかしている。
そもそも日本人相手の記事で元と元寇に注釈が必要なのか?
誰に向けた記事だ
その手下になってたんでしょう だけど中華帝国を再興したんでしょう
宗教学なんて想像を膨らませるとよりも妄想を逞しく
すると言った方が当てはまることが多いな
元軍の弓よりもはるかに遠くまで届き、鋼板の鎧をも
撃ち抜いた。流鏑馬の儀を見れば、和弓の大きさが
よくわかる。さらに、日本は訓練に訓練を積んだ
馬上の戦士が、この長弓を射た。当時すでに日本は、
世界最強だったのだ。
よくわかるはずだ。
当時の日本は、和弓という日本独特に発明した長弓で、
元軍の弓よりもはるかに遠くまで届き、鋼板の鎧をも
撃ち抜いた。流鏑馬の儀を見れば、和弓の大きさが
よくわかる。さらに、日本は訓練に訓練を積んだ
プロフェッショナルの馬上の戦士が、この長弓を射た。
当時すでに日本は、世界最強だったのだ。
正確に敵兵を次々と射抜いた。和弓の連続発射速度も速い。
元軍などは、上陸したらすぐさま全滅していた。
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元寇の船の木製の碇(いかり)が1994年と2022年に回収されてる
でかいから画像検索するとオモロイ
南宋の矢を持っていても何もおかしくはないが、
日本で初出土という点が重要なんだろうな
モンゴルの軽装騎馬弓兵のヒット・アンド・ラン戦法とは全然違う
あれは、南宋の中国古来からの集団戦法
銅鑼に合わせて歩兵集団が前進する
日本で言えば、高句麗と戦ったころの戦法
弓馬の鎌倉武士の方が、モンゴル本来の戦法に近い
そりゃ負けた連中が命じられるままに戦ったんだろ
?
モンゴル人は現場に来ても無いか、見張り報告役が天上人として僅かにいただけじゃね?
この話題の背景と論点
鷹島海底遺跡は元寇の沈没船が集中する国内唯一の海底遺跡で、これまでにも大型の碇や陶磁器などが引き揚げられてきた。今回見つかった矢は黒漆に赤漆を施した南宋様式とされ、モンゴルが南宋を滅ぼした際に接収した武具を、南宋の旧勢力が主力を担った弘安の役で転用した可能性を示す点に価値がある。
スレでは、断片から「矢」と断定できる根拠への疑義、和弓の性能や元軍の戦法(モンゴル式の騎馬弓兵か、南宋式の集団戦法か)をめぐる歴史談義で意見が分かれ、中国・朝鮮を絡めた政治的な応酬も交じった。
押さえておきたいのは、弘安の役で来襲した軍勢自体が旧南宋出身者を多く含む混成部隊であり、南宋製の装備が出土すること自体は不自然ではないという点だ。「元寇=モンゴル人の襲来」という単純な図式で読むと、実際に日本近海で戦った兵の出自の多様さを見落としやすい。
※本記事は5ch(科学ニュース+)スレッド「元寇の矢、沈没船から発見 南宋から接収し日本戦に転用か 長崎・松浦市の海底遺跡で」より抜粋・要約して構成しています。






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